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2011年01月10日

こんなこと考えながらゲームはしない


真・女神転生 召喚22体目

コメントしにくいシーンを取り上げてみました。

表面的に読めば、狂信者になるんでしょうね。
神のために命を投げ出すなんて普通の人は考えませんから。

そこで心情を推定してみようと、かる~く考えてみたのが今日のブログです。
だいたい30分ぐらいで記事にするつもりなので推敲はしません。

神への信仰心があんまりない人にとっては、このキャラクターの気持ちは分からんでしょう。
しかし、命を捧げる対象を変えれば、少しは理解できるかもしれません。
たとえば、恋人や仲間,国家でしょうか。

「君のためなら死ねる」とか、「命に代えても先には行かせない」などのシーンがありますよね。
こちらについては共感を覚えやすいよう演出・脚本がなされ、また、美しく描かれるため、自己犠牲の精神として讃えられることが多い気がします。
しかし、対象が神とか宗教になると狂信者というレッテルが貼られ、理解できない存在あるいは精神的な怖さとして描かれます。

違いとしては一つだけ。
心情が理解しやすいかどうか。

実はこれ、幽霊などへの怖さと仕組みが同じなんですよね。
幽霊の怖さっていうのは、よくわからない事が根源だと思います。
そもそも幽霊が存在するのかに始まり、幽霊が何を考えて何を行動するのかも分かりません。
また、反撃するにもどうしたらよいのかも分かりません。
反撃する方法が分かり、その気持ちが分かれば怖さは半減すると思います。
30分で考えたことですが、どうでしょう?

まあ、私が思わないだけで神のために命を捧げる事がスバラシイというのが常識であれば、前提がひっくり返っちゃって、別に珍しいことではないとなりますけどね。

ちなみにタイトルをどうするかが一番難しかったです。
この文章を書いてる今も未定なんですよ。